私の彼は左きき 花の中三トリオ 神田川 関西ブルース

 一般的に日本で「ブルース」といえば「港町ブルース」や「伊勢佐木町ブルース」、古くは淡谷のり子の「別れのブルース」などの歌謡曲を思い浮かべられることが多い。だが、ブルースはアメリカの黒人の間で生まれた、即興で演奏される12小節の単純なコード曲のことである。

 ローリング・ストーンズやエリック・クラプトンなどイギリスのミュージシャンたちがブルースに影響を受け、そのブームが飛び火するように日本でも注目を浴びた。'71年に、B・B・キングが初来日すると、ブルース人気が日本でも沸騰。'74年にはスリーピー・ジョン・エスティスやオーティス・ラッシュといった、アメリカで幻と呼ばれていたミュージシャンたちも来日してくる。

 '73年、ギターの塩次伸二率いる「ウエスト・ロード・ブルース・バンド」や、はっちゃんこと服田洋一郎率いる「ブルース・ハウス・ブルース・バンド」(ボーカルの入道が抜けたのち、近藤房之介が参加して「ブレイク・ダウン」となる)が結成された。どちらも同志社大学出身のバンドである。大阪からは「憂歌団」が内田勘太郎のスライド・ギターと木村充揮のボーカルで人気を博した。これらのバンドは「日本三大ブルース・バンド」と呼ばれた。

 彼らの活躍の場所は、'73年以後の京都に次々と誕生したライブ・ハウスで、酒蔵を改造した「拾得」、風呂屋を改造した「磔磔」、銀閣寺に行く角の地下にあった「サーカス&サーカス」などである。「ウエスト・ロード・ブルース・バンド」や「ブレイク・ダウン」は「拾得」、「憂歌団」は「サーカス&サーカス」で定期演奏していた。ボクも「拾得」で、玄米定食を食べたあと、ビールと「ブレイク・ダウン」の演奏を何度か楽しんだことがある。

 '73年には初めての「8・8ロックデイ」が万博記念公演で開かれ、三大バンドとともに「上田正樹とサウス・トゥ・サウス」や「ファッツ・ボトル・ブルース・バンド」などが出演している。ボクは、第1回目にはいかなかったが、第3回の「8・8」にはかけつけ、「スターキング・デリシャス」の大上留理子の熱唱に圧倒された。帰りのバスから、どこかで打ち上げられた花火が美しかったことが記憶の片隅にある。

「8・8」は'82年まで続けられた。あとは大阪万博の「太陽の塔」のように、過去の栄光が語り継がれるのみである。


これからも作品は続きます

僕の『京都同やんグラフィティ』は、1973~1976年の間、
同志社大学(小説では同夢舎大学)に入学し、
京都で過ごした思い出を虚実おり混ぜて小説にしたものです。

「青雲篇」「劣情篇」「堕落篇」という3部作を構想していて、
「青雲篇」は、瀬戸内海の小都市から出てきて右も左も分からない主人公が右往左往する話です。
「劣情篇」は、女性との付き合いが中心になります。初体験から突然のモテ期が到来し、
当時の女性の考え方や愛し方などをつづります。
「堕落篇」は、ひょんなことから学生ビジネス(飲み屋)を始めることになった主人公が、
さまざまなことにチャレンジする話です。

「青雲篇」「堕落篇」をご期待ください。


¥300
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