1回生の頃、食事や飲み屋でデートする経験はほとんどなかった。京都の名所を回ったり、加茂川のほとりを歩いたり、喫茶店や映画館に行く。もちろん、割り勘なんてとんでもない。女の子にお金を出してもらうことは男の沽券に関わると思っていた。
 彼女へ簡単に連絡できる時代ではなかった。連絡の手段はもっぱら電話で、電話番号を教えてもらうことが恋愛の出発になる。家に電話をするときには親が出てこないかとハラハラドキドキし、下宿なら大家さんに愛想を使ってゴマをする。

 そんな童貞ばかりのボクたち下宿生のなかに、名古屋の坊っちゃん高校から立命館大学に合格したN君がいた。現実的で合理主義的な考え方を持っているN君は、高校時代に童貞を卒業していた。
 女性の何が何やらわからぬボクたちは、いつの日かやってくる童貞とお別れする日を妄想をふくらませて待っていた。その方法や真理の一端が垣間見えるかもしれないと、ボクたちはN君の話に耳を大きくさせて聞いていた。

 食べものの話といっしょで、こういう話は体験していることが大切だ。幾らああだこうだと耳学問を披露してみても、所詮は経験知らずの無知な存在に他ならない。食べたことのない料理をいくら論じてもどんなものかわからないが、食べてみればある程度のことがわかる。現実を切り抜けた者は強いのである。

 みんなが集まって女性の話をしていると、N君はいつの間にかベッドの上に横たわり、手を頭の上に乗せて、女性とは、SEXとは、対処の方法など、さまざまな童貞たちの疑問に答えてくれる。まるで、牢名主のように振舞うN君の講釈を聞いて、ボクたちはひな鳥の如くうなづいていたのである。

 1回生のときには童貞だったボクも、2回生の夏にチャンスがやってきた。
 京都大学の近くにダム・ハウスというロック喫茶があった。店のなかが真っ暗で、テーブルの上にぽつんとついたライトがぼんやりと灯っていたという記憶がある。バイトのみんなと出かけると、店の前にロングスカートをはいた女の人が座り込んでいた。聞いてみると「オプタリドン」という鎮痛剤を飲み過ぎてクラクラするから、表で涼んでいるという。ボクは周りの仲間を放っておいて、さっそく口説きにかかった。初めての体験が待っていると思うと、さらに力が入った。

 結果、彼女の家にタクシーで送っていくことになり、そこでエッチした。初めてなので優しい言葉もあまり続かない。場所もわからず困っていると、彼女がやさしく手を添えて教えてくれた。ボクは「はじめてじゃない」と嘘をついていたが、彼女にはボクが童貞であることはお見通しだったのだろうと思う。

 初めての体験で、ボクは猿のように何度も彼女を求めた。場所を代えてボクのアパート(この頃は帷子ノ辻の下宿を出て、下鴨のアパートに住んでいた)でもエッチした。結局、24時間で6回もしたことになる。そのときは、童貞を卒業しても何も変わらないと思っていた。だが、しばらくすると大人になったという自信が、ボクに変化をもたらしていると悟った。

 彼女は水商売をしていて、たまにボクのアパートに来た。ボクがいないときは、部屋のドアの前に座っている。派手な化粧をとると、とても幼い顔をしていた。やさしい心の持ち主だったが、非常識ともとれる自由奔放なところがあり、学生のボクは彼女のすべてを受け入れることができなかった。いつの間にか彼女との間は疎遠になってしまった。

 同じ頃、同級生のK君も童貞を卒業した。サークルの下級生で、デートのあと下宿に招いたという。童貞と処女のカップルで、エッチをしていると彼女の身体が上にずり上がってきたと話していた。
 これに焦ったのがA君である。雄琴に出かけて童貞を卒業することにした。できたばかりの国鉄湖西線の雄琴駅で降り、田んぼのなかにきらめく豪華絢爛の建物のから「○○御殿」というトルコ風呂を選んだ。入浴料5000円を払い、好みの名前を選んで待合室で待った。呼ばれて、個室に入ったら、カワイイ女の子がいて、「初めてなんですけど」といったら「私でいいの?」と喜んだ。身体を洗ってくれて、ベッドインして無事卒業を済ませた。

 これには後日談がある。童貞仲間のF君にこのことを話すと、F君は早速「○○御殿」へ向かったのである。F君は巨砲を持っている。しかも、絶倫なのだそうだ。トルコ嬢はF君に、「学校なんかやめてここにずっといて」と薦められたというが、本当のことだろうか……。

 童貞を卒業したら不思議なもので、一気に女性とつき合う機会が増えた。帰省して、友だちの1歳上のガールフレンドを訪ねると、胸の大きな女の子がいた。童貞を卒業して1月ほどのボクは、妙に調子に乗っていた。彼女と仲良く飲んで膝にそっと手をやると、彼女もボクの足の内側に手を伸ばしてきた。帰省中、彼女と何度かエッチした。ただ、彼女は「ワタシ、不感症なの」とベッドの方はあまり積極的ではなかった。ボクは彼女との関係はその時限りと割り切っていたし、彼女も遊びと考えていたと思っていた。

 夏休みの帰省から少しして、中学のコーラス部でいっしょだった1級下のYという女の子から電話があった。今年から奈良の短大に通い出したので、京都を案内してほしいという内容である。いいよと引き受け、嵐山を巡った。パブで酒を飲んでアパートに帰った。Yとふたりでいっしょに夜を過ごした。残念ながらYは処女じゃなかったが、「今度生まれ変わったらボクが初めての男になろう」とキザな台詞を吐いた。こうして、ボクはYとつき合うようになった。

 秋の夜も更けようとするころ、アパートのドアを誰かが叩いた。ボクは酒を飲んでアパートに戻り、ベッドでウトウトしていた。誰かと思ったら、帰郷先でつき合った1歳上の彼女である。へへっと笑い、「帰りの電車がなくなったから泊めて」という。Yとの約束もなかったからボクは了承した。

 酔いも手伝って「エッチでもしようか」といったら、あっさり服を脱いでベッドに入ってきた。当時のボクは早漏気味だったのだが、その夜は酔いも手伝ってなかなか発射しない。LPの曲が終わり、そのままに裏返すと、彼女の様子がいつもと違う。冷感症といっていた彼女は、声こそ出さないまでもよく感じていた。彼女を満足させるには、念入りな準備が必要だったのだ。

 コトが終わり、ふたりでベッドに入っていた朝、また誰かがドアをたたいた。Yだ。休講になったから遊びにきたという。アパートの近くの喫茶店で待つようにいって、ベッドのなかの彼女に部屋を出るように促した。彼女はボクに「あんたはいつか女でひどい目に遭うよ」といって出ていった。
 喫茶店でボクはYに謝った。Yも事情を察していたようで、涙を流した。それからボクはYと3年間つき合った。最後の半年は同棲したが、つらい別れになった。

 さて、その1歳年上の彼女だが、僕が1回生の時にいた下宿の男たちとも関係した。ややこしいので、仮に「鬼百合」と名前をつけよう。

 ボクと別れてから、鬼百合はボクに連絡をしてきたが、ボクがYとつき合うことを宣言すると、下宿の誰かを紹介してくれという。それで、下宿に連れて行ったのだ。そして、男たちにちょっかいを出し始めた。

 鬼百合は、男関係が激しかったようだ。だが、鬼百合は快楽を求めるよりも、そのときだけでも自分を愛してくれる男や、自分に夢中になってくれる男を探していたように思う。おそらく、幼い頃から、親の愛情が注がれていなかったためなのか、自分が男たちの中心でいたいという思いが強かったのだろうか……。永遠の愛ではなく、そのときだけでも真剣に愛してくれる男がよかったのだろう。だから、一夜限りの愛に向いていた。

 そうした鬼百合の相手にM君がいる。鬼百合が泊りにきたとき、M君のシンボルをみて「包茎じゃないの」と笑ったことをM君はひどく気にしていた。「仮性包茎」だったのだが、病院に行って「真性包茎」だと訴えた。「真性」と認められれば、保険が適用されるからである。

 M君は手術をして、包茎とおさらばした。手術のあとがむずがゆくなったので、禁止されていた自慰をしてしまい、医者からこっぴどく叱られたという。ある日の飲み会でM君は輪ゴムのようなものをみせた。手術でとったシンボルの皮だという。M君はそれを嬉しそうにみんなにみせ、コップのなかの酒をあおった。その笑顔はいかにも晴れ晴れとしていた。


これからも作品は続きます

僕の『京都同やんグラフィティ』は、1973~1976年の間、
同志社大学(小説では同夢舎大学)に入学し、
京都で過ごした思い出を虚実おり混ぜて小説にしたものです。

「青雲篇」「劣情篇」「堕落篇」という3部作を構想していて、
「青雲篇」は、瀬戸内海の小都市から出てきて右も左も分からない主人公が右往左往する話です。
「劣情篇」は、女性との付き合いが中心になります。初体験から突然のモテ期が到来し、
当時の女性の考え方や愛し方などをつづります。
「堕落篇」は、ひょんなことから学生ビジネス(飲み屋)を始めることになった主人公が、
さまざまなことにチャレンジする話です。

「青雲篇」「堕落篇」をご期待ください。


¥300
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