'70年当時、映画は斜陽の道を辿ってはいたが、まだ娯楽の一角を大きく占めていた。映画館はロードショー一本やりではなく、少し遅れて劇場に人気の映画がかけられる二番館があり、3ヶ月から半年くらいあとの映画が上映される三番館、懐かしの映画や作家性の強いフィルムをかける名画座もあった。例えば名画座は、ロードショーが800円の時代に、3〜4本の上映で2〜300円だった。
ボクたちは暗闇に照らし出される映画に向かって野次や歓声を投げかけた。面白いシーンや映画に似合った台詞が登場すると「異議なし!」という声が観客席から湧いてくる。
学生の間で人気が高かった名画座は、京都の北、宮本武蔵と吉岡一門の決闘で名高い一乗寺にある「京一会館」であった。市場の二階にあったこの映画館で、実相寺昭雄の「無常」や大島渚作品などを観た。驚かされたのは鈴木則文監督の「温泉スッポン芸者」で、同志社大学のキャンパスや、ボクたちが授業の合間に移動する道がえんえんと映し出されていた。主演の杉本美樹は女子学生という設定だった。八坂神社の近くの「祇園会館」は「京一会館」より少しオシャレで、三本立てで上映される作品も、文芸の香りが漂うものが多かった。
大学でも新町キャンパスの学生会館で映画がよく上映されていた。1本100円のカンパで懐かしの名作を見ることができる。例えば、鈴木清順監督の「殺しの烙印」「けんかえれじい」「東京流れ者」はこの100円の上映会で楽しんだ。
気になるのは黒澤明監督の「七人の侍」を観たときである。不覚にも寝てしまった。何度も「七人の侍」を見直したが、眠くなるところなど、ひとつもない作品である。徹夜をしていたとか、体調が悪かったとか、何かあったのかしらん。
映画ではないが、キャンパスでうろうろしていたら、裸に白塗りの集団がやってきて、パフォーマンスを始めた。腹から、赤いペンキで塗られた縄を臓物さながらに引き出し、再び臓物を腹にしまい再生のイメージを踊っている。身体を低く鎮め、ゆったりとした動きのそれは「暗黒舞踊」と呼ばれるパフォーマンス集団であった。ビラを配り終えると、彼らは学生会館に向かった。そして、会館から下がる縄をゆっくりと登りながら、太陽を指差して何かを叫んだ。まるで、大きな会館の前に虫がのそりのそりと動いているかのようだ。ちっぽけな存在であっても何かを残すことができるということを示しているようでもある。
太陽の下では、何をやっても自由だということだったのだろうか。きわめて示唆深い、異様な風景が目の前に登場し、ボクたちの感情を刺激した。だが、白塗りの彼が屋上まで登ってしまって姿が見えなくなると、いつもの学生会館の風景が広がっているだけだった。
「ほんやら洞」のマスターで、今は木屋町でバー「八文字屋」を営む甲斐さんに伺ったら、この白塗りの男は、俳優の田中泯じゃないかと教えてくれた。僕は「大駱駝艦」のメンバーかと思っていたが、長年の疑問が氷解した。 |