ヘレン・メリル
「withクリフォード・ブラウン」
カーティス・フラー
「クール・ストラッティン」
バド・パウエル
「ザ・シーン・チェンジス」
ジョン・コルトレーン
「ラブ・シュープリームス」

 70年代は、ジャズ喫茶隆盛の時代だった。薄暗い店内で天井から下がったペンダントライトがテーブルを照らしている。客は、身体を小刻みに震わせてリズムをとり、ちらりと演奏しているレコードジャケットを覗き見て、煙草をくゆらす。ジャズ喫茶にピースの缶がよく似合った。紫色の煙がぼんやりとライトの周りに漂っている。

 暗いなかで吉本隆明の『共同幻想論』や大江健三郎の初期作品の文庫を広げている客もいた。ボクたちが熱狂的に愛した漫画はバロン吉元の「柔侠伝」である。「漫画アクション」に1970年から10年間連載されていて、どのジャズ喫茶にも単行本が置かれていたと思う。講道館柔道をめぐる青春ストーリーで、主役の柳勘九朗と茜のロマンスを始めとする波瀾万丈のストーリーを食い入るように読んだものである。ヒロインの茜は風吹ジュンに面影が似ていて、のちにサントリーのマイルド・ウォッカ「樹氷」の'79年CMに登場した。

 だが、いくら本を読んでいても、スピーカーから流れる曲を聴き漏らさぬよう、耳はいつも身構えていた。それがジャズを愛する者たちに共通する掟のようなものでもあった。
 ジャズは、ボクたちにとって大人になるためのツールの一つだった。精一杯の背伸びをして、「コルトレーンのアドリブがどうのこうの、ミンガスがあれこれ」と「スイングジャーナル」で知ったばかりの情報をたれ流し、帽子を脱いで屈んだ格好をした評価の曲とアーティストを頑張って覚えた。ジャズ喫茶で、少しでもいい曲だと思えば、メモに曲を書き込む。あとで、みんなに喋って、ジャズ通だと思われるための工夫を施すのである。

 ジャズ喫茶では私語は厳禁である。曲を邪魔するように入口のドアが開くと、みんなが一斉に顔を覗き込む。こちらは恐縮して、スピーカーからやや離れた辺りの席にしゃがみ込む。そして、空気が和むようにひっそりと環境に同化し、新しい闖入者が来たら、自分がされたのと同じように睨みを利かせるのである。

 平安神宮の近くに老舗の「YAMATOYA」があった。古い屋敷のような建物の2階に大きなスピーカーがしつらえられていて、大音響でジャズが流れる。スピーカーの近くに席をとったら、店を出ても頭のなかを曲が鳴り響いていた。「YAMATOYA」は、熊野神社の近くに「サンタクロース」という体育館のようなジャズ喫茶を開店させたように思う。人よりもでかいスピーカーが置かれていて、クリアーな音を聞かせていた。

 記憶に残るジャズ喫茶には、出町柳の商店街の中にあった「52番街」、三条河原町のビル地下にあったJBL自慢の「BIG BOY」、高野悦子の『二十歳の原点』に登場し、よくマイルスがかかっていた「しあんくれーる」、寺町今出川の同志社女子大寮裏に位置する「SMスポット」などがあった。「SMスポット」というと、とんでもないところのように思われがちだが、JAZZ通を唸らせる名盤がかけられていた。ただひとつの難点は、照明が暗いこと。手探りで店に入っていかねばならなかった。

 この時代には、ジャズの名盤が廉価版で登場した。'73年にはクリフォード・ブラウンの円熟期のアルバムが1,300円で発売された。ボクは、「ヘレン・メリル」と「マックス・ローチ」との共演盤を喜んで買った。しばらくすると「サヴォイ」から1,800円でケニー・クラークの「ブルースエット」やMJQのアルバムが出た。ハスキー・ボイスのジャッキー・パリス「サウンド」も掘り出し物だったが、これはどのレコード会社から出たのだろう。嬉しかったのは、「ブルーノート」から1,800円でLPが発売されたことである。マイルス・デイヴィスの「枯れ葉」が入った「サムシング・エルス」は持っていたので、バド・パウエルのアルバムを急いで買いにいった。

 酒が置いてあるジャズの店なら「ブルーノート」があった。この店の女の子にちょっかいを出して外に誘い、逃げられてしまったこともある。

 木屋町のビルの6階にもジャズをバックに気楽に飲める店があったが、その店の名前はもう忘れてしまった。ある日のこと、このビルに入ろうとしたとき、3人の酔客にからまれた。ボクと友だちと連れの女の3人でエレベーターに向かっていたら、そいつらが卑猥なことをいった。女は、すぐさま、からかってきたそいつらに向かって悪態をついた。すると、エレベーターに乗り込もうとするボクたちに、そいつらが突然殴り掛かってきたのである。

 乗り込んでくるそいつらにパンチを噛ましてエレベーターを5階に進め、階段で目的の店に行こうとした。すると、そいつらも追いかけてきて、店を覗き込んでボクたちを探している。店を出て、エレベーターの前でひと悶着していると、美しい女性を連れたヤーさんが降り立ち「女の子に何しよんのじゃ」というやいなや、そいつらは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。我が連れの女は「おにいさん、カッコいい。文太みたい」と褒めると、ヤーさんは「ありがとうよ」と肩で風を切って去っていった。ベラミで暴力団組長が銃殺される2日前のことであった。もしかして……と、思うことがある。

 当時、京都、いや関西では独自の音楽文化が育っていた。先鞭をきったのは、69年に「帰ってきたヨッパライ」でミリオンを出したフォーク・クルセイダーズで、「フォークの神様」と呼ばれた同志社大学神学部出身の岡林信康、口ックやブルースでは、ブルースハウスの流れを汲むブレイク・ダウンやウエストロード・ブルースバンド、憂歌団、上田正樹とサウストゥサウス、などが活躍していた。西部講堂を拠点としたという伝説のバンド・村八分のことは、よく知らない。

 ライブハウスが誕生したのはボクが京都にやってきた73年で、酒蔵を改造した「拾得」が堀川丸太町の近くにできている。74年に四条堺町から下がったところに、風呂屋を改造した「磔磔」、75年に銀閣寺道の四つ角のビルの地下に「サーカス&サーカス」がオープンした。これらは単独ライブを行うのに丁度よい大きさで、多くの若者を集めた。

 ボクは、毎週、月曜日の「拾得」で開かれていたブレイク・ダウンのライブによく行った。ブルース・ハウスを率いていたはっちゃんがリーダーで、近藤房之介が名古屋からやってきていた。房之介は、今と同様によく通る声で、オーティス・ラッシュやB・B・キングの曲を唄っていた。
「サーカス&サーカス」は憂歌団の専属ライブハウスで、当時から観客とバンドの掛け合いが楽しかった。初めて内田勘太郎のスライドギターを聞いたときにはびっくりした。ブルースの可能性が大きく広がったような気になった。

 ライブハウスでは、ビールを飲んだ。そして「拾得」では玄米にバターとゴマがのった玄米定食をよく食べた。おかずは少なかったが、噛みしめ噛みしめ食べると腹持ちがしてなかなかに美味しいのである。

久保田麻琴と夕焼け楽団
「サンセット・ギャング」
高田渡
「フィッシング・オン・サンデー」
はっぴいえんど
「風街ロマン」
小坂忠
「ほうろう」

 ボクは2回生のとき、日本のフォークとロックのアルバムを100枚ほど持っていた。もともとロックバンドのはっぴいえんどが好きだったが、'72年に解散した。はっぴいえんどのリーダーだったベースの細野晴臣やギターの鈴木茂、ドラムスの林立夫、キーボードの松任谷正隆らが結成したキャラメル・ママがティン・パン・アレーに名前を変え、アーティストたちのバックをつとめていた。彼らはプロデュースも果たして、アグネス・チャン経由で荒井由美にいき着いた。ボクは、彼らの活動をチェックしていたら、音楽がアジア音楽や世界の民族音楽に広がり、知的好奇心を満足させてくれたのである。

 また、はっぴいえんどのドラムスを担当していた松本隆が、こんなに有名な作詞家になるとは予想していなかった。でも、彼の透明な詞は当時から好きだった。大瀧詠一は、アメリカンポップスに傾倒し、パクリの曲も多かったが、ナイヤガラ・レーベルを設立し、さまざまな曲を手がけた。のちの松田聖子の「風立ちぬ」は大瀧詠一、「ガラスの林檎」「天国のキッス」は細野晴臣の作曲で、作詞はどちらも松本隆である。

 久保田麻琴と夕焼け楽団も好きである。ゴジラのデザインのジャケットに興味があって「サンセット・ギャング」というアルバムを買ったら、中身の素晴らしさに度肝を抜かれた。「ルイジアナ・ママ」や、柳町光男のドキュメンタリー映画「ブラック・エンペラー」に使われた「夕焼けブルース」など、名曲が多い。久保田麻琴は、ハーフのサンディーと結婚し、夕焼け楽団はサンディー&ザ・サンセッツとなり、オーストラリアで人気のバンドとなった。一時は、プロデューサーとして活躍し、細野晴臣とコンビを組んで、何枚かのアルバムをリリースしている。

 なんやかんやとアルバムを買っていたら、最終は200枚近くになったが、金に困ってすべてを売ってしまった。今持っていればと後悔するときがある。

 3回生のときだったろうか、高田渡の「フィッシング・オン・サンデー」というアルバムを買った。何という曲名か忘れたが、「眠りな〜」というフレーズのある曲である。その個所が延々と繰り返される。最初聞いたときは、何と長い曲だろうと思ったが、よく見るとレコード盤にキズがあった。このキズが、高田渡の曲を睡眠療法にぴったりの曲に変えてしまったのであった。


これからも作品は続きます

僕の『京都同やんグラフィティ』は、1973~1976年の間、
同志社大学(小説では同夢舎大学)に入学し、
京都で過ごした思い出を虚実おり混ぜて小説にしたものです。

「青雲篇」「劣情篇」「堕落篇」という3部作を構想していて、
「青雲篇」は、瀬戸内海の小都市から出てきて右も左も分からない主人公が右往左往する話です。
「劣情篇」は、女性との付き合いが中心になります。初体験から突然のモテ期が到来し、
当時の女性の考え方や愛し方などをつづります。
「堕落篇」は、ひょんなことから学生ビジネス(飲み屋)を始めることになった主人公が、
さまざまなことにチャレンジする話です。

「青雲篇」「堕落篇」をご期待ください。


¥300
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