1回生の下宿には小さな共同の台所があったが、ほとんど使うことはなかった。部屋にある電熱器をつかってラーメンをつくることはあったが、それは仕送りの前の緊急事態に陥った期間だけのことである。

 ある月、仕送りまで1週間もあるのに金がなくなってしまったことがあった。それで、家から送ってもらっていたお米をラーメン鍋で焚いてご飯をつくった。最初は残っていた海苔の佃煮で食べる。それがなくなったのでマーガリンを乗せて食べたが、とうとうマーガリンも尽きてしまった。醤油をかけるのも「なんだかなあ」と、具なしの五目飯、つまり「醤油ご飯」を炊いて、仕送りが入るまでの最後の一日を過ごしたことがある。

 普段は食堂と大学の食堂でエネルギーを補給した。大学の食堂「学食」は、同志社では今出川と新町にそれぞれあってメニューも価格も幾分違う。また、喫茶中心の食堂もありお金に余裕のあるときはそこで食べたりもした。

 73年の「学食」では、ランチが150円と180円の2種類があって、おかずの種類によって食べ分けることができた。ところが、オイルショック以後は250円程度に値上がりしてしまった。
 下宿の近くの相生食堂ではコロッケ定食が260円か280円で食べられた。「王将」なら餃子が100円。金のないときはこれにライスなら200円以下で食べられる。普段は酢豚定食でも300円以下で食べることができたと思う。

 喫茶店もよく通った。コーヒー1杯100円ほどで何時間も粘ることができる。同志社大学の近くには「わびすけ」という学生御用達の喫茶店があり、知りあいもよく利用していた。中古文学研究会のミーティングもここであったりしたが、食べものも充実していたと思う。

 同志社の近くには「ほんやら洞」もあった。細長い店で、サブカルチャー系の雑誌やミニコミが置かれていた。名前は、つげ義春の漫画「ほんやら洞のべんさん」からとったという。近年、焼失したと聞いた。この店の向かいには、キング・クリムゾンの「クリムゾン・キングの宮殿」という顔が描かれたアルバムジャケットそのままにペイントされたロック喫茶もあった。
 暑い京都の夏や底冷えのする冬の京都では、下宿にいるより喫茶店の方が快適に過ごせる。珈琲の味よりも、音楽を楽しみ、漫画や週刊誌を読み、慣れてくれば喫茶店のマスターとお喋りもして時間を過ごした。

 三条堺町の「イノダ珈琲店」は、高田渡の「コーヒーブルース」に登場する。「三条へいかなくちゃ 三条堺町のイノダっていうコーヒー屋へね あの娘に逢いに、なに、好きなコーヒーを 少しばかり」と唄われている店である。店に入ると珈琲の甘い香りが漂っていた。厚手の白いカップになみなみとつがれた珈琲が出てくるのだが、ここで珈琲の美味しさを知ったような気がする。
 ジャズ喫茶や音楽喫茶の類いにもよく出かけたが、これらは「聴く」で紹介しようと思う。

田ごと
「光悦水指弁当」
しる幸
「利休弁当」
中村楼
「田楽弁当」
六盛
「手桶弁当」

 スナックをしていたときは、よく京懐石の店へ弁当を食べに出かけた。昼だと有名な料亭の味がリーズナブルに味わえるので、彼女といっしょに京都の名店を巡ったのだ。今になって思うのは、当時のボクの舌では、老舗の味を理解できなかったのではないかと思っている。ボクが好んだのは、味付けがはっきりしているものが多く、京料理の真髄に届くことはなかった。あの「しる幸」の上品な味を、物足りないと感じたこともある。ただ、こうした経験は、ライターとして食べものを取材することの多いボクにとって、大きな財産になったのは間違いのないことである。

 他にも「中村楼」「中むら」「田ごと」「下鴨茶寮」「六盛」などの弁当を食べた。さまざまな料理が松花堂の器のなかに飾られ、彩りと味は申し分ない。あとは、それぞれの店の個性をいかに出しているかに興味があった。

 このなかで印象に残っているのは「田ごと」の「光悦水指弁当」である。「田ごと」は四条通の新京極と河原町の間の繁華街にあるので、見逃しやすい店である。だが、一軒ほどの間尺から店に入ると、石畳の路地になっていて、玄関までの間につくばいや池がしつらえてあり、喧噪の空間から静寂な空間へ入るという心構えになる。

 この店の弁当は、江戸時代の初夏・陶芸家として名高い本阿弥光悦の名前を冠する。なぜ印象に残っているかといえば、ボクはここで初めて「このわた」を食べた。弁当に入っていたのである。最初はゴムのような感触にびっくりしたものだが、何度も食べているうちに美味しいと思うようになってきた。ほんのわずか、ちょっとした箸休めにいただくのがちょうどよい。ほかにも「中村楼」の「田楽弁当」も豆腐の味が滋味に感じ、焼き上げられた木の芽が香ばしい味噌が、八坂神社の側というシチュエーションも加わり、京料理の美味しさを盛上げてくれる。

 もう一度、これらの店を訪れて当時の記憶と照らし合わせてみたいのだが、ヨメさんが京料理をあまり好いてないのである。もしかすると、当時の記憶の片隅にいる、かつての彼女の面影を察知しているのかもしれない。


これからも作品は続きます

僕の『京都同やんグラフィティ』は、1973~1976年の間、
同志社大学(小説では同夢舎大学)に入学し、
京都で過ごした思い出を虚実おり混ぜて小説にしたものです。

「青雲篇」「劣情篇」「堕落篇」という3部作を構想していて、
「青雲篇」は、瀬戸内海の小都市から出てきて右も左も分からない主人公が右往左往する話です。
「劣情篇」は、女性との付き合いが中心になります。初体験から突然のモテ期が到来し、
当時の女性の考え方や愛し方などをつづります。
「堕落篇」は、ひょんなことから学生ビジネス(飲み屋)を始めることになった主人公が、
さまざまなことにチャレンジする話です。

「青雲篇」「堕落篇」をご期待ください。


¥300
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