日本テレビ系のオーディション番組「スター誕生!」出身の森昌子、桜田淳子、山口百恵の3人は、番組のなかで「花の中三トリオ」と呼ばれた。森昌子は、'72年7月1日に「せんせい」でデビュー。'73年2月25日に桜田淳子が「天使も夢みる」、その年の5月21日に山口百恵が「としごろ」でデビューした。
進級するごとに「高ートリオ」「高二トリオ」「高三トリオ」と呼び名を変えていった。森昌子と山口百恵はホリプロ、桜田淳子はサンミュージックで、事務所の垣根を越えて結成されているが、当初、ホリプロの森昌子、山口百恵、石川さゆりでトリオを組む予定もあったという。
「スタ誕」初代グランドチャンピオンの森昌子は、今までの髪を男の子のように短くしてデビューした。歌のうまさは定評があったが、アイドルを拒否するような髪型だった。萩本欽一は、この髪型を「タワシ」と呼んだが、のちに登場したぬいぐるみ「モンチッチ」にわずかながらも影響を与えたように思う。
桜田淳子は、デビューの頃から明るかった。ずうっと芸能界に住んでいたような過剰ぶりである。「エンジェル・ハット」と呼ばれる帽子をかぶり、愛想を振り向いた。当時、大家さんからもらった無料券で、森田健作主演の「涙のあとに微笑みを」という映画を観たら、スクリーンに桜田淳子が写っていて、車椅子に乗った明るい女の子を演じていた。そして、「わたしの青い鳥」を「クック、クック……」と楽しそうに歌っていた。桜田淳子の異常ともいえる明るさの裏に闇が潜んでいたことは、のちの宗教信仰と結婚騒動が示しているのではないか。淳子がマスコミで話題になったとき、妙に納得したのを覚えている。
山口百恵は、どことなく印象が暗かった。「としごろ」「青い果実」「禁じられた遊び」「春風のいたずら」とヒット曲を出し、「ひと夏の経験」で大ブレークしてふたりを大きく引き離した。そして、阿木燿子・宇崎竜童コンビの「横須賀ストーリー」から彼女独自の世界を開拓し、結婚・引退まで歌謡界の第一線を走り続けた。
歌謡界での位置は大きく変わっても、三人は「○○トリオ」といわれ続けた。三人にとっても、これは少し残酷なことではなかったかと思っている。 |