私の彼は左きき 花の中三トリオ 神田川 関西ブルース

 '73年7月5日にリリースされた「私の彼は左きき」は、8月27日~9月3日でオリコンチャート1位を獲得している。「芽ばえ」でデビューした麻丘めぐみの、「悲しみよこんにちは」「女の子なんだもん」「森を駆ける恋人たち」に続く5枚目のシングルで、50万枚を超える大ヒットを記録し、第15回日本レコード大賞の大衆賞、第4回日本歌謡大賞と放送音楽賞を得て麻丘めぐみの人気を不動のものにした。「私の、私の、彼は、左っききー」のところで、左の掌をくるりと回す振り付けは、多くの人の記憶に残っていることだろう。

 麻丘めぐみは、のちに漫画「愛と誠」の早乙女愛にパクられたこともあるお姫様カットのヘア・スタイルが特徴で、清楚なお嬢様の雰囲気を醸し出していた。すらりと伸びた細い足に、ミニ・スカートがよく似合っていた。1歳のときの幼児モデルで芸能デビューし、中学生のときは雑誌「セブンティーン」のモデルになっている。アイドル歌手としてデビューしたのは16歳で、芸能歴は長い。「私の彼は左きき」を歌ったのは17歳のときである。

 1回生の秋、下宿に電話がかかった。夏休みの帰省で、高校の同級生の家を訪ねたとき、同級生の幼なじみたちの宴席に紛れ込んだ。そのとき、麻丘めぐみによく似ていた女の子と知り合った。大阪の短大に通っているというので、酒の勢いを借りて、京都に来たら案内するとボクはアピールしていた。彼女を仮に「めぐみちゃん」とする。

 めぐみちゃんと友だちの女の子に嵐山の渡月橋で会い、我がテリトリーである嵯峨野を案内した。それから四条に出て少し飲み、次のデートを約束した。
 ふたりにはさまざまなことがあったが、すべてを書くと長くなってしまうので、めぐみちゃんとの別れを記す。

 ボクは童貞だった。めぐみちゃんを神聖化しすぎて、なかなか手が出せなかった。女の子に対する戸惑いもあり、手を出したら壊れてしまうのではないかとも考えていた。いや、ボクはめぐみちゃんを大切にしたかったのではなかった。未知のものに触れることで傷つくボクを怖れていたのだと思う。ふたりの関係が深くなると、薄っぺらい自分の本当の姿を知られ、別れてしまうのではないかと危惧していた。現実面では無力で、何もできない。そんな自信のなさを心に秘めながら、ボクははしゃいでいる風を演じていたのである。

 別れの日、めぐみちゃんはボクに「あなたはもっと大人だと思っていたけれど……」と呟いた。ボクは「ごめんね」といい、ぺこりと頭を下げて手を振った。

 めぐみちゃんも小さく手を振った。めぐみちゃんの振る手が、「私の彼は左きき」の振り付けのようにくるりと回したような、そんな気がした。


これからも作品は続きます

僕の『京都同やんグラフィティ』は、1973~1976年の間、
同志社大学(小説では同夢舎大学)に入学し、
京都で過ごした思い出を虚実おり混ぜて小説にしたものです。

「青雲篇」「劣情篇」「堕落篇」という3部作を構想していて、
「青雲篇」は、瀬戸内海の小都市から出てきて右も左も分からない主人公が右往左往する話です。
「劣情篇」は、女性との付き合いが中心になります。初体験から突然のモテ期が到来し、
当時の女性の考え方や愛し方などをつづります。
「堕落篇」は、ひょんなことから学生ビジネス(飲み屋)を始めることになった主人公が、
さまざまなことにチャレンジする話です。

「青雲篇」「堕落篇」をご期待ください。


¥300
¥300