'73年2月25日、大阪の三和銀行阪急梅田北支店でニセ夜間金庫事件が起こった。
繁華街の大阪梅田にはブティックや雑貨店などの商店が多い。犯人はその売上を狙って仮設の夜間金庫をつくった。契約する商店主らには故障を知らせる張り紙を貼り、職員通用ロに置かれている「仮設金庫」に売上金を投入するように指示したのである。多くの商店主はそれを信じ、その日の売上金を投入した。ところが、予想以上に金額が多かったのか、仮設の金庫が膨れ上がりお金の入った布袋が丸見えになってしまった。
それをみた利用客が、「これは大変」とばかりに警備センターに連絡すると、ニセ金庫であることが判明した。利用していたのは約70店で、2500万円あまりが投入されていたが、盗まれる前に発覚したため無事に終わった。ニセ金庫はベニヤ板でつくられ、アルミ箔やステンレスで装飾されていた。しかも、入金するとレシートが発行される仕掛けもあり、一目ではニセ物とは判別できないものになっていた。
大阪府警は、遺留品や不審者の目撃証言から犯人を捜索したが、防犯カメラも設置されていない時代、この事件は迷宮入りして'80年に時効を迎えた。
この年の12月14日には、愛知県の豊川信用金庫で取り付け騒動が起こった。
同信金の小坂井支店に7000人余りの預金者が開店と同時に押しかけ、預金の引き出しや解約を求めて窓口に殺到したのである。午後には本店や他の支店にまでも騒ぎが広がったが、行員たちは預金者の不安を鎮めるため、夜10時過ぎまで支払業務を続行したという。小坂井支店で約8億円、信金全体で14億円にも上る金額が引き出された。
警察が捜査に乗り出したところ、信金の経営状態に問題は少しもなく、騒ぎの発端は意外なものだった。
豊川信金に就職が決なった女子高生が、友人から強盗などに逢うのではないかと危惧した「信金は危ないよ」という言葉を、当の女子高生が母親にそのことを話した。母親は、親戚や近所にその噂を確認しようと多くのところに電話や聞き込みをしたため、「信金倒産」が「信憑性のあるデマ」として拡散されたのである。
この事態を受け、マスコミは「デマ」と報じ、翌日には大蔵省と日銀が親近の経営が優良であることを保証したところ、取り付け騒ぎはようやく鎮まった。
ほかにも滋賀銀行で女子行員が9億円を詐取する事件などもあって、'73年は銀行受難の年でもあった。 |