10月23日、国際石油資本(メジャー)のエクソン、シェル両社が、第4次中東戦争を原因として日本向けの原油価格を30%引き上げると日本政府に伝えてきた。翌24日には他のメジャーもエクソンとシェルの値上げに追随した。順調だった日本経済は、中東にエネルギーの多くを頼っていたため、石油の調達とコストのために大きな打撃を受けてしまった。これが「オイルショック」である。
政府は「石油緊急対策要綱」を決め、「消費節約運動」を展開した。一般家庭のマイカー利用は自粛となり、ガソリンスタンドは日曜・祝日の休業となる。企業や公共の場での暖房温度は摂氏20度に抑えられ、デパートはエスカレーターを停止。ビルの夜間照明や電気は節約のために制限されテレビの深夜放送もなくなった。
インフレを抑制しようと公定歩合が引き上げられ、企業の設備投資などが減退したために日本経済は戦後初のマイナス成長となる。オイルショックを機に、日本の高度経済成長は終焉を迎えたのである。
そのため、今までイケイケで進んできた日本の経済を、この時期にもう一度見直そうという気運が高まった。つくれば売れるからとがむしゃらに働いて日本の繁栄をつくりあげてきたものの、足もとを見ると各地で公害が発生している。しかも、モノばかり増えてはいるものの幸福感にははるかに遠い現実があった。
「オイルショック」は、日本という国が石油というエネルギー源を外国に頼っている限り、決して自力では生きながらえることはできないという現実をボクたちにつきつけた。そして、石油が単なるエネルギー源ではなく、衣食住などボクたちの生活のすべてにわたって、深く結びついていたことを教えてくれた。
このため、主婦層がトイレットペーパーを買い求めて売り場に殺到してトイレットペーパー、ちり紙、砂糖、醤油といった生活必需品が店頭から姿を消してしまった。「オイルショック」のために、それらが品不足になることはなかったのだが、過剰な生活防衛意識がこうした「買い占め」「品不足」を生み出した。企業は石油不足や原価急騰を理由に価格をつりあげたため、「狂乱物価」と呼ばれるほど物価は上昇した。「オイルショック」以後、倒産、不況がぐんと増え、経済成長率の実質マイナスなどの「試練の時代」に突入した日本では、生活の自衛が始まったのである。 |