'73年8月8日、韓国・新民党の指導者・金大中(キム・デジュン)は、東京九段にあるホテル「グランドパレス」の2212号を訪れていた。金大中が木村俊夫元官房長官と会うために午後1時半頃に部屋を出ると、向かいの部屋から飛び出してきた男6人に隣の2210号室へ閉じこめられ、乗用車で連れ去られたのである。事件から5日経った後、金大中は東京から1300キロ離れたソウル市内の自宅前に、手に包帯を巻いた傷だらけの姿で突然現れた。
事件現場から韓国大使館書記官の指紋が発見され、金大中を乗せた車が横浜総領事館副領事・劉永福の所有であることが分る。さらに、この二人が韓国中央情報部(KCIA)の工作員だったことから、KCIAの関与が浮上した。'71年の韓国大統領選挙で、対立候補の金大中が朴正煕(パク・チョンヒ)に迫る集票をしたことで、危機感を抱いた部下が金大中の拉致を企てたということらしい。
10年後に金大中は、日本海に投げ入れられる直前「私を救ったのは、米中央情報局(CIA)の飛行機だった。CIA は犯人たちと韓国本国との無線をキャッチし、船の居所をつきとめていた」と語っている。アメリカが韓国に釘を刺したことで、金大中の命は救われたのである。
しかし、当時の日本政府は煮え切らなかった。韓国政府は「事件に韓国政府機関は関知しなかった」という声明を繰り返したため、事件の全容は明らかにされなかった。この年の11月1日、金鍾泌首相が来日して書記官の免職という「トカゲの尻尾きり」で処分が行われたたけであった。
当時は、軍事政権であった韓国だが、このような無法はいつの時代にも繰り返されてきた。自国が事件を起こした加害者でありながらも被害者を装い、事件の真相をうやむやにしてしまうのがかの国の常套手段である。
金大中は、'97年の大統領選挙にも出馬して大統領となった。南北の対話を拓いた首脳会談などが評価されてノーベル平和賞を受賞している。 |