日本経済がオイルショックで「試練の時代」を迎えた頃、国民も同様にパニックを起こした。
'73年11月1日、大阪千里ニュータウンにある「大丸ピーコックストア」で、トイレットペーパーのチラシを見た主婦が午前10時の開店を前に200人ほど押しかけた。シャッターが開くや否や、主婦たちはトイレットペーパーめがけて殺到し、1週間分の在庫がわずか1時間たらずで姿を消した。
この騒ぎがあってから、全国のスーパーで同様の事件が起こった。売り場は大混乱となり、倉庫にしまってあるモノまでよこせと店に詰め寄った。このパニックは、トイレットペーパーのみならず、ティッシュや砂糖などの生活必需品に飛び火した。
これは、石油の供給制限による生産削減で「モノ不足」が発生するという噂が起こり、主婦たちは買いだめをしなくてはならないと思いこんだ。こうした騒動が新聞、雑誌に掲載され、「物価高」「モノ不足」「生活防衛」「暴動」といったセンセーショナルな見出しが躍ったことで、さらに拍車がかかった。
また、こうした騒動が起こる前年には空前の投機ブームを受けて、木材や穀物、大豆、綿花、羊毛などを大手商社が買い占め、価格が高騰したことがあった。生活防衛を図ろうとする主婦たちは、こうした企業による買い占めのために起こる価格高騰を防ぐために、「買いだめ」へと走った。
翌年、電気や郵便、医療費など公共料金が値上がり、生活全般にわたる異常な物価上昇が始まった。これを「狂乱物価」と呼ぶ。
トイレットペーパー不足は、学生たちにもこたえた。喫茶店はトイレにトイレットペーパーを置かなくなり、自分でちり紙を持ち歩かねばならない。スーパーや商店にトイレットペーパーがないときは実家から送ってもらうこともあったが、普段なら1m使うところを50cmに抑えたりもした。
学食のランチ代も、'73年秋までには150円だったものが、250円にまで跳ね上がったことを覚えている。 |