あんたも好きねぇ せまい日本そんなに急いでどこへ行く 買い占め・買いだめ 狙いうち

 交通安全年間スローガンの公募で、高知県土佐署の警察官が「せまい日本そんなに急いでどこへ行く」で総理大臣賞に選ばれた。このスローガンは、単なる交通安全の標語に留まらず、高度成長を続ける日本に、これでいいのかと疑問も投げかけた。

 '60年頃の日本ではマイカーブームに拍車がかかり、交通事故の発生件数や負傷者数、死者数が上昇していった時代である。モータリゼーションはぐんと発達したが、道路や信号、標識といったインフラが間に合わず、安全が後回しにされてきた。

 '71の運輸白書には、こうした交通事故の大半が「当該車両の乗務員の不注意により発生した」と書かれている。高度成長を続ける日本では、原材料や製品の運輸にトラックなどが使われるようになり、シロートに毛が生えたようなドライバーも増えていた。彼らは配達時間を優先し、安全意識などもあったものではなかった。いつの頃からか、安全を守らず、運を天に任せて運転する彼らを「神風ドライバー」と呼んだ。さきほどの運輸白書には「事業用自動車(とくにトラック)の管理者・運転者の安全意識を向上させる」ことが必要だとあり、運転者も歩行者も、交通安全意識が求められていたのである。

 年間で1万6765人もの交通事故死亡者を出した'70年をピークとして、事故発生件数や負傷者数、死者数も減少した。これは、警察の取締が増えたことに加え、'73年の「オイルショック」の発生で、経済の成長にストップがかかったことによる。景気減速でトラック輸送に歯止めがかかり、交通事故死亡者の減少につながったとは、いやはや「怪我の功名」であった。

 この年の流行語のなかには、交通遺児育英会を設立した玉井義臣が、物質主義や大量消費を見直そうと提唱した「ユックリズム」もある。


これからも作品は続きます

僕の『京都同やんグラフィティ』は、1973~1976年の間、
同志社大学(小説では同夢舎大学)に入学し、
京都で過ごした思い出を虚実おり混ぜて小説にしたものです。

「青雲篇」「劣情篇」「堕落篇」という3部作を構想していて、
「青雲篇」は、瀬戸内海の小都市から出てきて右も左も分からない主人公が右往左往する話です。
「劣情篇」は、女性との付き合いが中心になります。初体験から突然のモテ期が到来し、
当時の女性の考え方や愛し方などをつづります。
「堕落篇」は、ひょんなことから学生ビジネス(飲み屋)を始めることになった主人公が、
さまざまなことにチャレンジする話です。

「青雲篇」「堕落篇」をご期待ください。


¥300
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