大学が始まってびっくりしたのは、学生運動である。学生運動独特の文字で書かれた看板がキャンパスのいたるところに立てられ、赤いヘルメットをかぶった人たちがアジ演説をしている。当時はわからなかったのだが、同志社の学友会は「ブント」によって牛耳られていた。「ブント」とは「社学同全国委員会(社学同統一派)」のことで、同志社は関西におけるブントの拠点として機能していたらしい。
70年安保の頃に比べると、学生運動はやや落ち着きだしたのだが、同志社大学では授業料値上げや大学キャンパスが田辺へ移転することなどを問題にした闘争を行っていた。ボクたちが1回生のときに学期末テストがあったが、それ以降はテストは中止になり、ほとんどがレポート提出に代わった。
学生のとき、ボクは少し左寄りの考え方だった。2回生のときだったと思う。授業料値上げ反対の「フランスデモ」があると聞き、参加することにした。「フランスデモ」とは参加者が手をつないで道路いっぱいに行進するデモである。
デモの前に集会があった。「反動」と決めつけられた教授がみんなの前に引き出される「団交」というやつである。学生たちは教授に「自己批判」を要求する。ところがその教授は学生運動の本質と、現在の行動の空虚さを訴えてくる。隣席していたマスコミ学の教授は、その教授に学生たちの主張を受け入れるように説得する。すると、運動を批判する教授に赤ヘル姿の学生から角棒が打ち据えられた。耳のうしろから血を流す教授に対し、マスコミ学の教授は怪我を介抱することなく、その批判を続けている。A君は「教授に敬意を払わないこと」「怪我を介抱もせずに放っておくという人間性のかけらもない行動」に「これじゃあ共感できないや」と語った。そのあと、ボクたちはデモに参加したが、フランスデモの途中にバイトの時間が迫ってきたのでデモから離れた。そのあと、デモに参加した人たちの幾人かが検挙されたと聞いた。
同志社大学の学園祭は、創立記念日の11月29日前の3日間に行われる「EVE祭」である。ボクが1回生のとき、当時つき合っていた女の子といっしょに出かけた。つき合い始めてもう3か月になる。SF研のプロレスや女装喫茶、屋台などをうろつき、帰る頃にはもう陽が暮れていた。
秋の京都の夜は芯から冷える。白い息を吐きながら、手袋越しに手をつないで御所の周りを歩いた。ボクには、彼女にプレゼントを渡すという目的があったのだ。中身は、BALビルのテイジンショップで買った「CLAZY FOR YOU」と彫ってあるフリーサイズのペアリングである。「喜んでくれるかな」という気持ちとともに、もしかしたらキスできるかもしれないという、淡い期待もあった。
プレゼントを渡したあと、時間が少し止まったような気がした。そのとき、ボクは躊躇した。神様がくれた素敵な時間の贈りものを、ボクはうまく活かすことができなかったのである。
彼女は、大阪の帝塚山にアパートを借りていた。京阪の三条駅までバスで他愛もない話をしながらボクは彼女を送った。手を振る彼女は、少し淋しさを漂わせていた。
ボクは四人姉弟の末っ子である。長男が腸閉塞で亡くなり、そのあとにようやくできたボクは、親から溺愛されていた。過保護に生きてきたため、自然押しが弱くなる。女のなかで育っているので女の子とはすぐにうちとけられるのだが、なかなか関係を前に進めることができない。
三条京阪から北野白梅町に向かう帰りのバスのなか、ボクはふうと息を吐いた。 |