'70年代に入ると、男のファッションはアイビー派とコンチネンタル派に分かれた。
 アイビーは、アメリカ東部の大学ファッションに影響を受けたスポーツっぽいファッションで、VANをこよなく愛する輩の集まりだ。

 コンチネンタル派はヨーロッパ志向のクラシカルエレガンス風ファッションを身につけ、「JUN」「DOMON」「EDWARD'S」などのブランドを着こなす。のちに菊池武夫の「BIGI」が人気になるように、みんながショーケン(萩原健一)を気取っていた。

 ファッションのあり方をいえば、アイビー派の改まった服装はフラノの紺の三つボタンブレザーにコットンパンツかグレーのスラックスを合わせる。シャツはオックスフォード地と呼ばれる荒いコットンの生地のボタンダウンシャツにストライプのレジメンタル・タイを合わせ、靴はコインローファーや、おかめと呼ばれるウイング・チップを履く。

 コンチネンタル派は、ゆったりとしたバギー・パンツをはき、長めのイタリアンカラーのシャツに太めの襟のタイトなジャケットを合わせる。冬ならば、ベルベット地のジャケット(別珍)を着こなし、やや厚底で先の尖った靴を履いた。

 スポーティな格好なら、アイビー派はチェック柄のボタンダウンシャツにコットンパンツを合わせ、コインローファーかデザートブーツ。寒くなってきたら、CPOジャケットをはおる。うんと寒いときにはダッフルコートかランチコートをかぶって外に出る。

 コンチネンタル派のカジュアルは、ベルボトムジーンズにぴったりとしたTシャツを合わせたり、イタリアンカラーのシャツにサスペンダーをして、ロンドンブーツを履くことが多かった。「太陽にほえろ」のジーパン刑事か、「俺たちの旅」の中村雅俊のような格好である。

 オシャレに全く関心のない人たちもいた。親から送ってもらった襟に芯の入ったビジネスマン用のシャツか、どこで売っているのだろうかと思わせるような幾何学模様の派手な柄シャツを着て、首までボタンを留める。それに型くずれしそうなサラリーマン風のジャケットやセーターを合わせる。パンツはジーンズか、短めの丈のスラックスで、白い厚手の靴下に高校時代から履いているスポーツシューズを履き、肩から大きめの布製のバックをかけている。

 もちろん、シャツはスラックスにインさせるのだが、なかにはセーターもインさせている輩もいた。下宿に帰ると「ちゃんちゃんこ」や「どてら」のような服をはおっていた。この頃になると、部屋着にジャージを着ることも当たり前になってきた。

 のちに、サーファー・ファッションやヘビーデューティ・ファッションが流行ると、アイビー派も「ニュートラ(ニュー・トラッド)」といって、ヨーロピアン調の影響を受けたカジュアルな「ブレッピー・スタイル」に変化していく。要するに、ゴルファーがよく着ているような格好である。アイビーの御用達だったVANも何をとち狂ったか「MR.VAN」というブランドを出している。 VANが倒産するのは、これから3年ほど経った'78年のことだ。

 ヘビーデューティ・ファッションを代表する「ダウン・ベスト」というファッションアイテムがある。帰郷したときにこれを着て飲みに行くと「海上警備隊にお務め?」「沖で遭難したの?」という定番ギャグをよく浴びせかけられた。救命着によく似ていたのである。当時の「ダウン」には粗悪品が多く、古くなったベストの隙間から羽根が出てきたこともある。これはフェザーで、少なくともダウンではない。でも、安かった……。


これからも作品は続きます

僕の『京都同やんグラフィティ』は、1973~1976年の間、
同志社大学(小説では同夢舎大学)に入学し、
京都で過ごした思い出を虚実おり混ぜて小説にしたものです。

「青雲篇」「劣情篇」「堕落篇」という3部作を構想していて、
「青雲篇」は、瀬戸内海の小都市から出てきて右も左も分からない主人公が右往左往する話です。
「劣情篇」は、女性との付き合いが中心になります。初体験から突然のモテ期が到来し、
当時の女性の考え方や愛し方などをつづります。
「堕落篇」は、ひょんなことから学生ビジネス(飲み屋)を始めることになった主人公が、
さまざまなことにチャレンジする話です。

「青雲篇」「堕落篇」をご期待ください。


¥300
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