愛媛県の特殊性は水軍の跋扈と伊予八藩にある
平安時代になると、宇和海の日振島を根拠地とする藤原純友の乱が起こっています。また、源平合戦では、豪族の河野氏が水軍を率いて源氏方として活躍しました。
中世になると、水軍が瀬戸内海で活躍し始めます。南北朝時代の忽那水軍や戦国時代に勢力を誇った村上水軍が有名です。東予では、時代を先取りしていく進取の気風が今でも残っています。
愛媛県には現存天守が2つあります
江戸時代、伊予国は西条、小松、今治、松山、新谷、大洲、吉田、宇和島藩の八藩に分かれていました。今治と松山、新谷と大洲、吉田と宇和島は、兄弟藩なのですが、一国一城令が出されていた江戸時代でも稀有な例です。
「現存天守」は、日本全国に12基しかありません。その現存天守のうち、松山城と宇和島城が愛媛県にあります。しかも、松山城、大洲城、西条陣屋にも現存櫓や門が残されています。また、大洲城や今治城には復元天守が建てられています。
藩主が多いことで、各藩で書画や能、茶、文楽など特色をもった文化が育ちました。こうしたことが、東予、中予、南予で住民の性格が異なるという、今日の多彩な愛媛の文化に繋がっているのです。 |