正岡子規のお茶目な素顔をぜひ知って欲しい

誰が子規を暗いと言ったのか?

正岡子規は、わずかに35年間という人生を送り、明治35年9月19日に脊椎カリエスにより、その命のページを閉じました。

しかし、その短い生涯において、俳句と短歌の革新をなしとげ、現在に通じる言文一致の文章をつくりあげるなど、他を圧倒する文学の歩みを続けます。身体を動かすことさえもままならない「病牀六尺」の生活のなかで、子規は攻撃的かつ個性的な文学精神を貫いたのでした。

このようにエネルギッシュで快活だった子規ですが、なぜか正反対の暗いイメージがのしかかります。「俳聖」「病弱」「早世」といった悲劇的で堅苦しいイメージがつきまとうのです。

学生時代に結核に罹り、明治28年には日清戦争へ従軍後、帰国途中に船中で喀血します。以後の永い病床生活と、暗いイメージを付けようとするなら、いかようにも悲しい物語を紡げそうです。

子規の真実の姿を伝えたい

固定観念でガンじからめにされた子規像ではなく、自分のなすべき道を精一杯歩き、それでいて楽天的な彼の素顔を知ってもらいたい……。

特に、子規の食欲には凄まじいものがあります。

学生時代、常盤会からの支給金を食事に充ててグルメを気取った子規。食べる量を誇り、人よりどのくらい多く食べたかを自慢した子規。

不治の病といわれた結核に罹ってからも、子規は「滋養食」に目覚めます。病魔と死神からの攻撃に、栄養を取ることで自らの身体を健康に保ち、命を永らえたいと願う心が、「食欲」へと向かいました。

子規は、自分の人生の目標を文学に定めてから、古今の書物を漁って人に負けない知識を身につけました。そして、元気な頃には各地を旅行し、食べものを味わって、人の知らないことを体験。とめどない好奇心を充足させようと、知識と体験を食らい、すべてのものを貪欲に食い尽くそうとしたのです。

身体がカリエスに侵され、動くこともままならず、「病牀六尺」の空間に閉じ込められてからも、子規は「大食らい」でした。「ご馳走主義」を唱えて「滋養食」を食べ続けます。死の直前まで「食」に限りない執着を持ち、命をながらえる「滋養食」をとり続けたのでした。

魅力的な子規の姿をわかりやすく伝える

35年という短い生涯でしたが、生き生きと人生を過ごした子規。数多く残る微笑ましいエピソードの数々から、子規の実体を知ることができます。

それぞれの時代を生き生きと過ごした子規にスポットライトを当て、自分のなすべき道を精一杯歩き、それでいて楽天的な彼の素顔を知ってもらいたい。電子書籍というスタイルで、子規の新しい顔を知ってもらいたい。

そのため、子規により親しみを感じてもらえるエピソードを、で文章やマンガで提供してまいります。その業績と人のみならず、周辺の群像にも照明を当て、子規の魅力を提供していきます。ご期待ください。