明治を代表する作家・夏目漱石
明治から大正時代にかけて活躍した小説家・英文学者の夏目漱石。作品を読んだことがなくても、ほとんどの人がその名前を知っています。1000円札に肖像が描かれたり、『こころ』『夢十夜』『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『草枕』『三四郎』など多くの作品が国語の教科書に作品が採用されています。しかし、漱石がどのような人生を送っていたのかは、あまり知られていません。
小説を書き始めたのは意外と遅く、イギリス留学から帰国したからのこと。処女作の『吾輩は猫である』が『ホトトギス』に掲載されたのは38歳のときになります。『倫敦塔』や『坊っちゃん』『草枕』と立て続けに作品を発表し、作家としての地位を向上させていきました。
40歳のとき、漱石は帝国大学教授の地位を辞して朝日新聞社へ入社。本格的に職業作家としての道を歩み始めます。入社第一作目の『虞美人草』に始まり、『坑夫』『夢十夜』、前期三部作の『三四郎』『それから』『門』は大きな話題を呼びました。
43歳のとき、胃潰瘍を患い、転地療養のために修善寺温泉へ行きますが、そこで吐血して、生死の間を彷徨います。これが、いわゆる「修善寺の大患」で、なんとか命は助かりましたが、これから漱石は何度も胃病や痔疾、神経衰弱、糖尿病に苦しみました。
療養後、漱石は『彼岸過迄』『行人』『こころ』の後期三部作や、自伝小説『道草』を完成。大病後の作品で、近代知識人の内面を描きます。
49歳のとき、『明暗』執筆中に知人の結婚式に参加。そこで食べたピーナツのためか、胃潰瘍が再発して内出血を起こし、その短い生涯を閉じたのでした。
漱石は、日本近代文学の礎を築いた作家として知られています。当時の読者や後世の作家たちに、多大な影響を及ぼしました。 |