子規の生き方を同時代人の証言でたどる

子規の生涯

同時代人の証言でたどる正岡子規の生き方

著者:土井中 照  販売価格:¥500

 正岡子規は、近代俳句を語る際には欠かせない人物です。三十六年という短い生命を燃焼させた子規は、俳句、短歌、文章を革新したことは間違いないのですが、肺病に罹り、病床生活を長く続けたことで、「俳聖」「病弱」「早世」といった悲劇的で堅苦しいイメージがつきまとっています。

 この本は、そのような悲しい固定観念で語られがちだった子規像ではなく、それぞれの時代を生き生きと過ごした子規にスポットライトを当てました。自分のなすべき道が閉ざされようとも、楽天的に生きる彼の素顔を知ってもらいたいと考えたからです。そのため子規の生涯を幼少期、学生時代、社会人と大きく三つに分け、子規の生涯をたどった本文と同時代人の証言で構成しました。

 

もくじ

第一章 幼少期の子規
松山ご城下にまんまる顔の男の子が誕生した
祖父の佐伯家・大原家は学者を多く輩出した家系
曾祖母と父の過失で起こった自宅の火事
へぼで弱虫、青瓢箪、いじめられっ子の子規
髷を切ることが許されなかった子規
親族から読み書きを教わった子規
「聞子規」という題名の漢詩を初めてつくる
先生たちの話と読書を愛した子規
燕柳の軍談(講談)に夢中になった子規
さまざまな雑誌をつくり、友人たちに見せた子規
子規のために作られた三畳の書斎
詩作と書画を楽しむために仲間が集まった
子規初めての旅は自慢できるものではなかった
政談に熱中した若き日の子規
切望していた上京が現実のものとなる
【子規人脈1】幼なじみと学友たちとの交遊

第二章 学生時代の子規
東京での子規を待ち受けた友人と恩人
試しに受けた受験で合格した子規
子規が一年間に体験した天国と地獄
寄席好きの子規の多彩なエピソード
松山、東京と場所は違っても、変わらない友情
七変人の面々と下宿での二人
文学と軍隊に進路が分かれた二人
「野球」の雅号を持つ名選手・子規
「野球」の魅力を文学で伝えた子規
松山帰省で出合った俳句の魅力
【子規と向島】執筆とロマンスに彩られた向島での子規
郷土の人たちが集まる寄宿舎で培った友情
突然の喀血で決まった子規の雅号
互いの作品批評から芽生えた二人の友情
松山で心と身体を養生した子規
子規と漱石の親密さを醸す手紙のやりとり
文学より早く野球の門弟となった碧梧桐と虚子
子規の文学熱は常盤会寄宿舎を二分した
子規が書いた小説はすぐ活字にならなかった
拓川の友人・陸羯南は子規の生涯の師となった
退学を前に就職先を決めていた子規
下宿を頻繁に変えたのには理由がある
子規の時代は、学校の名称が頻繁に変わった
帰省した子規を温かく包んでくれたふるさと松山
喀血後、頻繁に各地を旅した子規
【子規人脈2】故郷の友人と文学仲間

第三章 社会人の子規
編集長の子規は新機軸を打ち出すが、短命に終わる
清国に赴くが銃声を聞くことのなかった子規
船上での喀血が子規の健康をさらに蝕んだ
子規と漱石の松山生活は子規が威張っていた
【子規の松山散策】松山を巡り句作に励んだ子規
【子規と松風会】病床の子規を訪れた松山の俳人たち
子規は俳句の将来を虚子に託したが拒否される
身体を蝕んでいく病魔との闘い
松山発、東京育ちの俳句雑誌
芭蕉を批判し、写生の効用を説いた子規
万葉の時代に帰れと提唱した子規
子規が始めた文章修行の「山会」
残された日々を絵を描いて過ごした子規
漱石にぶつけた子規の泣き言
子規の雰囲気と全く違う横顔写真
子規が掲載を希望した墨汁一滴分の文
公表を考えなかった日記にみる食へのこだわりと妹への罵詈雑言
動けなくても文章を書き続けた子規
絶筆三句を残して静かに死を迎えた子規
生前に書かれていた子規の墓誌銘
【子規人脈3】文学革新で拡がる人脈

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